西荻の建築2

「西荻のへそ」にある「荻山荘」西荻北3-13 は素晴らしい共同住宅です。
隅々までよく手入れされ、持ち主のこの住宅に対する愛着が・・・・玄関の石畳、ゆったりとしたエントランスに、いにしえの住まい・生活に対する「ゆとり」が感じられます。

開放的な構えは、南荻窪の近衛邸「荻外荘」(てきがいそう)と対照的な庶民のくつろいだ平和で穏やかな生活がそこにあります。
また「山荘」というネーミングに「松庵森」と「西ッパラ」の西荻を想起させます。

「西荻のへそ」とは、この場所が、かっての四か村の接点だったからです。四か村とは・・・・松庵村・中高井戸村・上井草村・上荻久保村です。「松庵森」とは、現JRの線路の北側が小高い森になっていたからです。

ちなみにその南側は「松庵窪」と呼ばれ、甲武鉄道敷設当時に線路に盛り土し、その採土の後が池沼になっって、子供の遊び場になっていたそうです。昭和になって埋め立てられましたが、現在でも窪地になっています。私が子供の頃は雨が降ると池のようになり、子供がたらいを舟にして一寸法師のように漕いでいました。

「西ッパラ」とは西荻駅駅北側一帯が、市川家が所有し、その屋号が「西原」であった事に依る(上荻久保村の西端だったからでしょう)そうです。実際広大な畑であったそうです。 2005.6.4

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