今川町の観泉寺に枝垂れ桜を見に行ったら、寺域に道しるべの付いたお地蔵様がありました。
山門に向かって手前を右に折れると塀の中にお稲荷さんなどと共に、特別立派な石の台座に鎮座しています。
(正面上部)
には、立像のお地蔵様が合掌しています。足下に「向」と書いてあります。
(正面下部右側)
「明和□丑年」と読めますがこれは「丑」から明和6年でした。1769年ですから約250年も経っているのでかなり剥落しています。
(正面下部左側)
「向 ぞうしがや」は学習院の裏の雑司ヶ谷で、鬼子母神(きしもじん)さんです。室町時代に由来する、安産・子育ての神様です。
「向」は石碑の先、すなはち、見る人の背後が雑司ヶ谷ということです。
(左側面)
は「左 ほりのうち」=堀之内。青梅街道新高円寺のそば、日蓮宗の名刹「妙法寺」で「参詣群衆すること浅草の観世音に並べり」といわれた厄除けの「御祖師様」です。
(右側面)
は「右 長命寺」で江戸初期に創建(1613年)された真言宗の古刹で、「東高野山」と言われ、寺へと至る道筋は参詣客の往来 でにぎわい、「東高野道」と呼ばれた庶民の霊場だそうです。石神井公園のそばにあります。
以上の江戸西北部=武蔵国多磨郡の、庶民の霊場ベスト3を記した、この道しるべの記載から、この石碑は、妙法寺と長命寺の中間点あたり、今の中野区と杉並区の区境あたりに、雑司ヶ谷を向いて立っていたのでしょうか?それにしても江戸時代の交通はすべて、「足」であったので、道しるべは大事だったのでしょう。
また庶民のレジャーとして、霊場参りが大流行したという記録・証なんでしょうね。2006.4.20
(左側面)左 ほりの内 | (正面)向 ぞうしがや | (右側面)右 長命寺 |